穴吹川無情


なぜ、彼があんな谷で死ななければならなかったのか、判らないでいる。物事が起きるとき、必ず原因があり結果がある。何が原因でどうしてあんな結果に!
訃報に接し、警察に場所を問い合わせたが、身内で無いので詳細は得られなかった。でも、大体の場所を聞けば、1/25000地図で類推はつく。とるものも取り敢えず、現地へ向かった。家から2時間ちょっとのはず。水筒、花、線香、ガラス瓶を持参した。支流に入り分岐を右折して更に細い支流の道を辿った。ところどころに堰堤があり、堰堤下には滝壺があって渓魚の隠れ家となっている。春の日差しが燦燦と渓流に映え、悲劇があったことが嘘のようだった

この辺とアタリを付けて、僅かな林道の隙間に車をねじ込むように止めた。しばらく上流へ向かって林道を歩くと左手にちょっとした神社がある。神社の裏から渓へ降りられるようにも見えるが、ちょっと危なそうな場所だ。夜明け前の暗がりでここを下れば、ひょっとして・・・と思われた。しかし、少し下流に下がって木立の間を分け入ると、簡単に渓へ降り立つことが出来た。彼ならこのルートを見つけられない訳はない。おそらく、ここかもう少し下流から入渓したと思われた。でも、この上流はゴルジュとなっていて、夏ならいざ知らず今の時期ここを泳いで上へ行くことはないだろう。さすれば、左手を高巻くしかない。おそらく、ここを高巻いているときに滑落したのではないだろうか?

渓の突破力にかけては自他ともに許す男だった。面倒でも一旦、渓から林道へ上がり、ゴルジュ帯をやり過ごして、もっとさきの林道から再度降りれば・・・と悔やまれる。ただ、この辺りから渓と林道が離れ始めて、次に入渓するときには藪の中を数十メートル下降しなければならない。で、右岸(川を上から下に向かって見て右側)を高巻くことにしたのではないだろうか?

頭部の打撲と裂傷による多量の出血の中、彼の意識は兎に角、帰還への思いで一杯だっただ
ろう。落下点から数十メートル下流で倒れていたと新聞に書かれていたことからも類推がつく。

薄らいでゆく意識の中、彼の胸中には限りない無念が横溢したことだと思う。痛みや苦しみを越える無念さが。悔しかったであろう。これまでの人生、両親・兄のこと、フィアンセのこと、友達のこと・・・去来する思いの中で、なんとか生きて戻りたいがそれが叶いそうも無いと絶望しながら無念の涙を流したであろう。

私にとっても無念の極みだ。自分の息子のような気がして付き合っていた。初めて出会ったのも、とある渓だった。松田優作と高倉健さんを合わせたような男臭い奴だった。でも飲みにいって私を待たせることは一度もなく事故の10日前にも解禁を祝って、二人で祝杯を挙げたばかりだった。

告別式の日、彼は一番彼にとって良い死に方をしたのではなかったか?と釣りの関係者に言った。

会社の仕事がきつくて人間関係が厭で自殺に追い込まれる人だって少なくない。それこそ自動車事故でだって年間何万人も亡くなっている。ましてや、厭な病気になって出来の悪い医者になぶられて死んでいくのが大多数の我々だ。

そこへいくと、自分が一番好きなことをやっていて、自分がこれ!と思う方法で問題に臨んだ。確かに結果として転落したが、客観的に見て悔いの無い死と言えるではないか?ああいう死に方は最高だとさえ言える。

ただし!!周りの人間を悲しませ過ぎたのは許せない。 周囲の人たちがどれほど悲しむか?を考えれば、もっともっと慎重であるべきだった。 彼の死によって、我々は大いに学ぶべきことがあるし、そうでなければならないと思う。

周囲に感謝し、周囲の人たちにとって役立つ人間であろうと思えば、絶対に死ぬような釣りをしてはいけないということがまず第一。 身の程知らずな釣行は避けなければいけない。
前途に自分の器量に照らして危険な場所を察知したら、潔く撤退し、今後の挑戦課題として捉え、それをクリアするための努力を払わねばならぬ。 体力強化や、装備の工夫も必要だ。

命がけの釣りなどというものは絶対にあってはならない。前述の通り、一人の人間には多くの支持者があって生きているのだから、周囲の人々を悲しみのドン底へ落とし入れたり、生活を根底から覆すようなことはなんとしてでも避けなければならない。

一方、我々が釣りを止めたり、謹慎するのは彼の魂に対して失礼だし、鎮魂にもなるまい。

私が釣りを止めるときは、あくまで自分の内面と向き合って渓流に熱き心を抱けなくなった時か、自分の肉体が渓谷に対峙しえなくなったと自ら判断する時でありたいと思う。そのためには自分もこれから身の丈に合った釣行を心がけようと思うし、体力強化、装備の知識、地図の読み方など自ら努力すべきことをやっていかなければならない。

と書きつつ、なぜ彼が死なねばならなかったのか・・・悔恨の情は燃え広がるばかりである。


そんな気持ちを抱きながらの穴吹川釣行となった。剣峡温泉は閉鎖されているが、その下には結構な淵が広がっている。そこになにやら魚影が認められたので、車を止めた。建物の間から岩場に降りる。強い流芯の脇に、大きな魚が定位しているように思えた。おや?と目を上に上げると下流からルアーを引く二人組みが上がってきた。

ルアー氏:こんちは!横を通っても良いですか?

銀:どうぞ、どうぞ。

とやり取りして、定位する魚めがけて餌を流し続けること、20分。グイっと掛かる。おお、こりゃ良い型だぁ〜。魚が水面に浮いてきた。流線型の魚体が水を切る。ありゃぁ〜。なんと、イダぢゃないか。

でかいと思って喜んだオノレの稚拙さにホゾを噛みながら、場所を支流へと変えた。去年は多少なりとも面白かった場所なのだが、チビアマゴが一尾だけだった。



 

 


   
 

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