あまご釣り・・・その3・・・


昨年から考えていたことが一つあった。

積極的に「あまご釣り」をするとはどういうことであろうか?と。

いろんな釣りキチ的なHPを拝見していると、人様に「私はアマゴを釣ってます」なんて言えるようになるには、それはそれはもう、タイヘンなものだということが判ってきた。

還暦に近くなった人間、しかも釣りの経験がわずか1〜2年のお爺いが手を出せる釣りではなさそうに思われるのである。

これらの達人方のHPを拝見すると、曰く、前の晩に仕事を終えてから、目的地へ車でかっ飛ぶ。

明け方近くまで、酒盛りなどをする。

ロープを使って渓谷へ下りて、そこから釣り上がって行く。

深い淵に阻まれればロープつたいに泳いで渡る。

大きな滝に出くわせばタカマキなどという秘技を繰り出してよじ登り、魔性の魚を釣り上げては、寿司にして食べてしまうそうだ。

まるで仙人か山賊の末裔としか思えない離れ業なのである。

何万分の一の地図をニランデいたかと思うと、そこから帰り道となる林道を見つけ出す。

これも、昔のマタギか、現代の大学登山部で鍛えられた猛者の生き残りとしか思えないのだ。

しかも、時には運悪く、岩の上へ飛び降りて足首を骨折するなどの大怪我さえしているらしいのだ。

つまり、命がけの釣りとなってしまうのである。

ところが、釣り雑誌を眺めていると、世の中には管理釣り場と称する奇妙な釣り場のあることが判った。

全国的に100箇所を越えるらしい。

しかも、そこで釣れる魚種は多様で、山女、岩魚、各種のトラウト(虹鱒、姫鱒、ブラウントラウトなど)、イトウ等といった幻の魚まで居るのだと言う。

一体、どうしてそんなことが起こっているのか?

調べてみると様々な魚を業者が養殖して、管理釣り場の経営者が仕込んで池に放しているらしいのだ。

魚の養殖も込み入っていて、天然の岩魚なんかはなかなか釣れないので、アメマスと岩魚を交配して、人なつっこい魚種を産み出したり、秋以降に釣れるようにするためには夏過ぎにも電灯照明を続けて魚を騙して出荷するのだとか。

渓流魚にとってはまさに悲劇的な状況を作り出した上で、人間様が錯覚に陥りながら渓流魚を釣ったような気になって喜んでいる。

釣具メーカーなどもこれを後押しして、エリア・フィッシングだとか訳のわからん言葉を交えて商品を売り込もうとしている。

こんなルアーで沢山釣れたとか、ウルトラライト・アクションの竿でないとラインのアタリが取れないなどと、奇妙な釣り人(たいていジーンズを履いて、野球帽をかぶり、ひげ等生やしているが、命がけの釣り人の正反対にあるような姿だ)に商品の解説をさせている。

浅はかなことだと思わないのか?

人間として恥ずべき釣りの実態が垣間見えた。

これら二通りの釣りが無関係なのではなく、今の日本において「渓流の女王」とあがめられている山女やアマゴを釣ることをを、この擬似社会主義的な国家の民が楽しもうと思うなら、このいずれかの道しかないのだという現実を直視せざるを得ない。 

徳島県の南部に海部川という清流が流れている。

ここで民宿を営む某氏に聞くと、昔は川に入ると魚が寄ってきて足を突付くので、こそばゆくてたまらなかったし、アマゴも川のどこでも容易に釣れたのだそうだ。 

昔とはいつのことかと聞けば、40年ほど前のことらしい。

今では川の上流部には土砂が堆積して、川幅も深さも無くなって魚が安心して暮らせなくなった挙句、最初に述べたような命がけの釣りによるしか天然のアマゴなどほとんど釣りようがなくなっている。

私は命がけの釣りなどというものがタタエラレルのは絶対におかしいと思う人間の一人だ。

だが、管理釣り場での養殖魚の釣りなど、これは釣りという名の全く別のゲームだと思う人間でもある。

2005年3月1日。徳島県の川でのアマゴの解禁日、まだ寒い早朝。

川に胴長を履いて立ち込みながら、この上も無く複雑な気持ちだった。

俺はなんで、今ここにいるのだろう?

昨年からアマゴを放流もせず、台風で痛めつけられた川では釣れることはおそらくあるまいと思いながらも、なぜ、今ここに立っているのだろう?

と何度も考えていた。 

この日他の川で釣った養殖放流アマゴ2匹、鱒2匹、油ハヤ2匹。


   
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