-大山囲碁合宿- 某ホテル・チェーンの宿泊券があるのだが期限切れが近づいている! こりゃ、勿体無いてぇんで、急遽合宿をすることになった。 高知へいくか鳥取にするか・・・思案の末、大山にしようと勝手に決めた。 岡山県とか、鳥取県、島根県といった中国地方へは、アクセスがすこぶる良くなったので、高速道路の通行料さえ気にしなければ、四国をぐるぐる回るより、かなり行きやすい。 実は大山を目指したのは、日野川という鮎つりで名の通った川があるからなのだが、今回は釣りの成果は報告できるようなものではなかった。 残念ながら割愛させていただく。 玄々斎、高麻呂59、鷹太郎、小生のいつもの4人組だが、小生、直前の「花のお江戸股旅」疲れが抜けず 不本意な戦果であったのも極めて遺憾である。 伯耆大山といわれる大山は、その山麓が大変広大で、富士山のようだ。 裾野には沢山のペンション村やら ホテル群が林立していて、リゾート地としての風貌を漂わせる一帯である。 蕎麦が有名とのことだったが、無知な小生はレストランで、カレーを頼んで他3名の嘲笑を買ってしまった。 慌ててカレーを蕎麦にひっくり返すことに成功した。 なかなかのアジで、値段も安く、これはうまかった。 「ちょっとカシイだ屋根はコケむして、障子に映る紅葉の影にすら、赤みが感じられる小部屋。 局面はまさに佳境を迎え、鷹太郎、裂帛の気合もろともカヤ盤にハッシとハマグリを打ち付ければ、盤上の石が サザナミのやうに揺れる。 玄々斎、血走った目で乾坤一擲(ケンコンイッテキ)の勝負手をヨミふける。 鷹太郎、銜(クワ)えた煙管(キセル)を噛む歯がガチガチと鳴り止まず・・・と、まぁ、こんな具合の勝負なら、 やはり部屋の入り口が鉄扉のホテル・ルームというのは、いかにも馴染まないのである。
ホテルの宿泊階ロビーから眺める日本海方面
あっかん!
べー!(その1)! べー!(その2) しかし、オイラもいかんせん年を取ったなぁ。 こんな宴会風景を入れないとなんとなく、落ち着かん!というのは間違いなく老化現象だ。 今回はなんとも不甲斐ない戦いだったが、ひょんなことから植田正治写真美術館を訪問できたのは収穫だった。 これは入館のチケット半券だ。
概観は白黒写真だけど、こんな雰囲気。 先発3人組みが向かう・・・・・ なんだか入り口が狭いぞ! 写真の展示ルームの入り口にたどり着く。 真ん中に「写真するボク」と浮き彫り。 植田少年写真家の登場だ。 先発3人組みがなにやら、呆然と腰掛けているのはなぜだ? えらく、気持ち良さそうな雰囲気で座ってるぞ!? な、な〜るほど!部屋の中から伯耆大山が切り取られている!こりゃ、絶景だわい。 いわゆる、演出写真の嚆矢となった、「4人の少女たち」 これは写真館で買ったはがきをスキャンした画像だ。 1939年の作品。 日本は戦争への歩みを着実に進めていた頃だが、相手国のアメリカではサンフランシスコ湾にゴールデン・ゲート・ブリッジ金門橋が建設された頃である。 国力の違いには歴然たるものがあった。
|
||||||
HOME | NEXT | |||||