電子メール、いろいろ


電子メールという言葉は死語になりつある。

メールなんてE-mailに決まってらぁと皆さんに笑われてしまうだろう。

でも、Mailと言えば普通は郵便、しかも切手が貼られた封書のイメージが国際的にはまだ通用しているのではないだろうか。

30年も前、オンラインシステムのユーザ共用域にユーザが書き込める部分を設けておいて、資格チェックの後、この部分を読めばメールの代用が出来ると考えていた。

現実にはそういうシステムは実現しなかったが、やがてパソコン通信が流行るとCompuserveだとか、それの日本版のNiftyServeの世界では、電子メールがサービスの主体だった。

ウチに帰ってパソコンを開けば、”メールがあります”なんていうメッセージがとても嬉しかったのを思い出す。

さらにForumが幾つも開かれて、それぞれごとに興味ある同志が意見交換や知識を公開するのが大繁盛になった。

また、売ります!買います!なんてコーナーも出来て、今のYahoo!オークションの土壌を形勢していった。

20年近く前に、ご存知Internetの前身のArpaNet(それまでは軍用、あるいは大学間での学術的な情報交換のNetworkだった)が一般商用ネットワークとして公開され、さらにモザイクに端を発する、いわゆるブラウザが無料でリリースされるに及んで、インターネットの利用が一挙に爆発したのが10年前だろう。

Internetに始まり、クライアント・サーバ技術を使ってIntranetが企業において一般化し、どこからでも誰とでもメールが交換できるという、誠に便利な時代になったのもこの10年だ。

ウェッブ・サイトを簡単に作れるソフトウエアが市場に出回ると、それこそ、誰でも世界に向けて自分の情報を発信できる時代となった。

こうした情報通信のあり方やネットワークの変遷を省みれば、こうしたことが可能となったのは、この数年の出来事である。

おかげで、こんなヨタ話もお読み頂けるようになった。

携帯電話とインターネットが結合したことで、携帯電話から家庭用のサーバーへアクセスして、センサーから得られる家庭内の様々な状態を把握することもできるようになった。

携帯電話がメール端末となったために、日本中の若者はおろか中年のオバサンまで、携帯電話にしがみつく有様はまさに、異様の一言に尽きる。

ひどいのになると、自転車に乗りながら携帯電話を操作している。

危なっかしいこと、この上なしだ。ご自分で電柱と正面衝突するぶんには勝手だが、人間にぶつかったりするからはなはだ迷惑だ。

私は携帯電話でメールのやり取りをする気には全くならない。理由は、3つある。

親指サーカスみたいな腱鞘炎か指の引きつけを起こすようなマン・マシン・インタフェースを押し付けて憚らない電話会社の技術屋は絶対に許せないのが一つ。

将来の日本人の親指は他の指に比べて格段に発達したシオマネキみたいな奇形になるかもしれない。

なぜ、もっとボイス・メールとしての機能を充実させないのだろうか?

せめて、音声認識用のDSPを搭載して文字への自動変換をしないのか?

ユーザにしても声に出すのが憚られるようなメールの内容でしかないのだろうか?

人様の前で連絡内容も読み上げられないような通信ばかりが横行する国なんて、不健康そのものだと思うがな。

半端な技術屋がはびこると国は滅びる?!

こんなものは日本の文化にしたくない。 これが第二の理由。

携帯電話でメールの送受信をするようになると、一日中携帯電話を睨みつけることになり、まるで電波を使った言葉のやり取りの奴隷のようになることは、真っ平ごめんだ。

さらに嫌なのは、携帯電話しかオモチャがない子供みたいで、携帯電話を持ったサルのように愚かしく見えるのが最大の理由である。携帯電話を嬉しそうにいじっている人間ってホント馬鹿に見えるのはオイラだけだろうか?


 

   
  Tidbitトップへ

 

  HOME   NEXT
   
inserted by FC2 system