2008年解禁 初めての渓への釣行はいつもの事ながら緊張する。入渓、退渓に問題はないだろうか、遡行はうまく行くだろうか等といったことで、魚が釣れるかどうかは余り考えてない。2008年の四国解禁を迎え、愛媛、徳島の情報では渓谷の奥には、まだかなりの雪が残っているというのも心配だ。先輩の助言を得て、高知の渓へ伺うことにしたが、どんな川でどういうポイントがあるのか全く判らない。ましてや早朝の暗がりでポイントを探り当てるなど、自分の力を超えていようと言うわけで、事前の探索に出掛けたのが2月28日だった。大豊まで32号線を走って、そこからR439号線を西へ向かう。
再び2万5千分の一の地図と首っ引きで車を更に上流に走らせた。こんな流れがあるポイントを見つけた!ここは居るという確信があった。道路に這い上って、目印に杉の大きな木に落ちていた枝を沢山集めて立て掛けて、暗い中でもヘッドライトでこの場所が見つけられるようにしておいた。まぁ、野良犬が電柱にオシッコを掛けるのと同じだと思っていただこうか。
さて、当日だが前夜若い釣り友達とこっそり解禁祝杯を挙げて早く寝たのが功を奏して、夜中の2時45分に目が覚めた。やたらとのどが渇いているが風邪は抜けたようだ。およそ趣味に関しては年齢や肩書きは無用の世界。どれだけ、好きなのか?どのように取り組もうとしているか?だけで、相手に対するリスペクトが決まってしまう恐ろしくも、サッパリしたものなのだ。若くても立派な釣り人は多いし、いくら年ばかり重ねていても丸で駄目男なオジイも居るに違いない。
大豊を過ぎる辺りで雨が雪に変わった。小さな村落をノミで彫ったような狭い道で通過すると、一昨日の橋のたもとに出た。さぁ、ここからだ。いよいよ現場に近づいてきた。ここぞというポイントには必ずと言って良いほど徹夜組の車が止まっているのには驚いた。渓沿いに道があり入渓が容易な川は誰しもついつい来たがるのであろう。幸運にも一昨日目印をつけておいた大杉の根元に徹夜組は陣取っていなかった。相変わらずのミゾレ状態の中、早速支度に取り掛かる。ヘッドランプを着けないと、何処になにがあるのやらわからない。ウェーダーを履き、魚籠を腰に巻くといやがおうにも震えがくるのは寒さのせいばかりではなかった。 大きな岩陰から第一投、かすかな魚信があったが針掛りはしなかった。一昨日の下見では大きな淵に魚影が見えたが、ここはそんな淵ではない。上流の落ち込みから長く延びた流れが瀬に開いたところだ。大岩を越えて、瀬の開きへ第n投・・・鮮やかなアタリがあって解禁第一号アマゴが宙を舞った。
その通りで、ここからが酷かった。これから1時間釣り上ったが、7尾しか釣れなかった。しかし、渓相は抜群でいくらでも好ポイントがある。焦るな、銀次郎!
またぞろ雪が激しくなってきたので、ジャケットの襟を広げてフードを出してかぶった。結構暖かいではないか。正面の山は雪にけぶって・・・・と思ったら、なんと!! 上流から釣り下がってくる人がいるではないか?!そんなのありか?こりゃぁ頭ハネと同じではないか!頭ハネなら姿が見えないから気合入れて釣り上るが、下りて来られたんでは、がっくりだ。急にやる気が失せてしまった。 でも、こんなところでお祭り気分を壊してはいけないから、文句は言わずに 「釣れましたか?」と銀次郎。 「上の支流に入ろうとおもてきたんやが、誰かの車があったんで釣り下がったんや。 2〜30釣れたかな」 誰も咎めてないのに言い訳めいたことを言う地元のオヤジだった。 オヤジは自分と出合った場所から引き返すようにして、再び上流へ消えていった。背中のリュックと魚籠のくたびれ方、足ごしらえの確かさが、長年の釣歴を語っていた。それほどの釣師なら、もうちょっと精神的に立派であって欲しかった。流石にオヤジが叩いた後の流れからは何も魚信が伝わらなかったので、しばらくオヤジの後を上流へ辿った後、右支流の流れ込みから道路へ這い上がって今年のめでたい解禁の釣りを終了することにした。 帰途、暗がりを走ってきた道をゆっくり通り過ぎながら、村の営みらしきものを目で追った。時折、地元の車とすれ違う。とあるすれ違いで、相手の車が待っていてくれた。 挨拶に手を振ると、車の中の白い顔が綺麗な口元をほころばせて微笑んでいる。アマゴを釣ったときと同じくらいの喜びが心に残った。渓は美しく、そこで育った猫柳の芽吹きのような女性もまた美しかった。さっきの厭な思いが吹っ飛んだ。解禁万歳!である。 今年は春から縁起がいいぞ! 2008年03月03日 (月曜日) |
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