師匠 − その1−

ドシン!と言う感じで石を打ちつけると、ジロリと相手を睨む。この睨みクセというのはどうもプロ特有のものらしい。一時殺し屋といわれた加藤さんなんかの睨みはコワイと感じるのではないでしょうか?M師匠も時折厳しく睨むのである。睨んで何が得なのか判らないが兎に角睨まないと話にならないらしい。

素人は碁盤の一ヶ所を見続けていると、相手に折角の手を気付かれてはまずいと妙なことを考えて、素知らぬ振りをするから相手の顔を睨むなんて芸当はとても出来ないが、中には睨む人もいるようだ。私も相手をにらめる様な打ち手になりたいものと思っている。

M師は戦前に成長したプロで、兎に角早く打たなければ許さんと言う態度。師にとってやさしい所で考えようものなら、”こんなところで考えているようでは、私の内弟子なら許しません”とおっしゃる。なんでも扇子か何かでヒッパタクそうである。
将来時間に追われるギリギリの勝負所でくだらん時間を使わない様に若いうちから鍛えておく為だ。

師に言わせると、素人相手の碁なんてものは好きなところに白石を撒かせて、それからでも十分に碁は打てるのだそうだ。それだけ筋というものが豊富にあるということだろうか。昔から早見えだったのだろう。先生、素人の長考派と対すると殆ど寝ている。相手がさんざん考えて石を置くとハッと目を覚ます。瞬間、石をつかむとハッシと打ちつけて、すぐに次の白石を握って待っているが、素人は迷った挙げ句なかなか打たないので、ポロッと石を取り落として、また寝込んでしまう。素人が石を置くと同じ事象が繰り返されるだけ。

目を覚ますもう一つの音は襖の開く音である。襖がガササと擦れるとハッと目を開き襖の方にくれる視線の鋭いこと、鋭いこと。
お菓子の到来を夢の延長で察知される。饅頭、羊羹などの甘味と見て取るや、相好を崩して両手を軽く振りながら”ハイハイ、どうぞハイハイ”とお盆の置かれるべき位置を指し示す。おかげで”ハイハイさん”という渾名を戴いてしまった。
酒を飲みながら碁を打つなんてトンでもないと考えられる師匠だが甘味には目茶弱くて、実に可愛い先生だった。

ある碁会で、F氏という県代表クラスの打ち手が参加していた。師とF氏が一局という段で、手合いはどうするか?となった。師は5段の方は3子でお願いしておりますと言われる。方やF氏は2子でお願いしたいと言う。双方頑強に主張しあって中々手合いが定まらぬ。
暫く押し問答をした挙句、2子番となった。打ち始めると双方の気合がほとばしって複雑な碁となり、そばで見ていてもどちらが有利なのか定かでない。延々と続くコウ争い、切った貼ったの争いで師も居眠りどころでない有り様。目がランランと輝き、睨みもガンガン飛ぶ。しかし最後は専門棋士の実力で県代表氏の投了となった。

F氏が帰ったあと、こっそり師に尋ねてみたものである。”如何でしたか?”
師いわく、”まるで碁になりませんな!”と。プロの意地に驚いたものである。
3子の碁は指導碁である、2子の碁は勝負であると師は考えておられたのかもしれない。

私が未だ大学生のころだから30年以上も昔のこと夏休み直前のある日、師匠から今年の夏休みは何か計画があるのかと聞かれた。特段ありませんと答えると、

”それなら夏休みの間毎日、自宅に通って来なさい。夏休みの終わりには5段にして見せる”とおっしゃる。
20歳の学生としては貴重な夏休みに薄暗いタタミの部屋で扇子で叩かれながら碁を打つなんて真っ平御免だと強く思っていた。お断りしたことを全く悔いなかった。

私は碁をはじめて2年くらいしかたっていない。先生に5子か6子の手合いだったが5段くらいは2〜3年もあれば十分だと思っていた。今になって考えれば何たることを考えていたのだろう!何を差し置いても夏休み中教えて戴けば良かったと、本当に後悔している。
あれから30年たって未だに4段の域を出ないのである。おそらく全く進歩していないと言える。
勿論、一夏で5段になれたとは考えないが、二十歳の頃なら1日に早碁を数局、40日打てばプロの感覚を少しでも身に付けられたに違いない。碁を勉強するなら若いうちが大事だ。今頃これほど苦労しないですんだと思われるし、上達もしないのに囲碁を打った時間の浪費たるやいかばかりであろう。よしんば、単に上達するためだけに碁を打つのではないとしてもだ。



   
 

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