饂飩(うどん)考


以下は、古くからの友人達に高松便りとして、書き送ったもの。読み返してみると誤解と偏見に満ちていて、怒りを買うのではないか?とやや心配ですが、議論のタネには面白いかと思いました。
私は終の棲家として決めたこの地で8年半ほどお世話になっていて一応、高松市民化しております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

香川県は饂飩どころだけに、県内に800軒に上る饂飩屋があって、これを網羅的に取材したという、呆れた本が 高松市内の本屋にはうずたかく積んであります。
<おそるべき讃岐うどん>という本で、奇怪な饂飩屋を面白おかしく紹介してますが、凄い饂飩は何ゆえに凄いのか?という一番大切な部分が抜け落ちてます。

凄い饂飩とそうでない二流、三流いわゆるピカ二、ピカ三の饂飩の違いの原因とおぼしきものを発見したので、老婆心ながらご報告しようと思う訳であります。
こういうと、必ず、あいつは本当に暇な奴だ!と、酒の肴にされることは判ります。
でも、本当はもの凄く忙しいんだけど、心のやさしさ、細やかさから解説しているとお考え下さい。
だって、こんなことしたためるにもそれなりの時間はかかる訳だし、貧乏人がこんな馬鹿なことに拘わっていちゃイケナイ。何か仕事をせねば!!と思うんだが、やはり親愛なる友人には、何か為になることを教えてあげるのも恩返しだと思うのであります。

まず、一般的に言って高松旧市内の饂飩屋はまずい所が多い。
どうしてそうなのか?良く判らないが兎に角まずい。これは、東京育ちの私のベロに合わないだけなのだろうか?
でも八栗の山田家とか、宇多津のおか泉、満濃の小縣屋などはうまいと思うんだがなぁ。

松下という饂飩屋があり昼になるとサラリーマンを中心としてOL、職人風などがぎっしりで、道路に待ち人の行列がトグロを巻いているかと思えば、あっちの隅、こっちの隅でウンコ座りした連中がチュウチュウ、ズルズル、チュウズルズルと地べたに座りこんで饂飩をすすり込んでいる。
ここの饂飩は、前述の本によれば、ダシがうまいのと、テンカスが細かくて雪のようだなどと余りパッとしたことは書いてない。私はここの饂飩は不味いと見ている。
で、心の中ではマズシタと呼んでいる。

ところで、こうして座り込んで饂飩をすする連中を見る度に、酔っぱらいでもあるまいし、道路に座り込んで昼飯を食うなんてなんと貧しいのだろうと、自転車で横をすり抜けることにしている。
背広着て、ネクタイ締めてしゃがんで饂飩をすする。これって悲しいものがあるなぁ。
貧乏人だなんて言わない。
要するに食文化として貧しい。あるいはメシというものに対する考え方、取り組み方が貧しいと思うんだ。
いつか、彫刻家の流政之さんが、饂飩だけの文化ってのは淋しいと新聞で書かれてましたが、本当にそう思います。

私は高松ほどの瀬戸内海沿いの町で、なんで饂飩ばかり食っているんだろうと不思議でした。
しかしながら、最近は、なるほどと思うようにもなりました。
確かに饂飩は安い。相場では玉が一つ60円〜80円(店によって若干違う)、それに出汁と薬味料とでもいうのか、そういう要素がチャージされても、ザル饂飩だけだと(私はそういう食べ方しないので、ネイティブなザル饂飩だと幾らになるか?はっきりしないが)多分大ザル(二玉)で280円くらいだろう。
それに、やはり讃岐ウドンはうまい!!店によっては、このプライスで驚嘆すべきうまいザル饂飩が、食べられるのだ。
東京でザル饂飩がいくらするか知らないが、ま、比較にならないアジと価格の食材なのである。地方都市の景気はいまだパッとしない今日この頃、そこで働く人々にとって低価格と言うのは、まさしく絶対条件の一つだ。

話がわき道にそれている。で、何が言いたいかと言うと、そう、店によってうまいところとまずいところの差が何によって生ずるかか?をレポートすることでした。
それには難しいとは知りながら、饂飩の<うまさ>の定義をする必要があります。これは、かなり個人的なことになってしまうので、そこはご勘弁願いたい。いずれにせよ、砒素が何グラム牛丼に入っていたか?殺人の道具の刃渡りは何センチあったか?が定義されてないと公判は維持できない!!というのと同じだなと弁護士がいってたぞ。嘘付け!? ハイ!嘘ですなんて・・・

兎に角、饂飩のうまさの定義を勝手にしてみた。

<前提>:冷たいうどんであることが条件。暖めるとうどんは一変する。

◎まずコシが一番だ。何でもコシが大切だ。口のなかで暴れること暴れること。こないだなんか、婆さんが饂飩に入れ歯をからめ取られて、巾着みたいな口で、饂飩に絡まれて宙に浮いている入れ歯をパン喰い競争みたいに追っかけてたっけ。
◎次は粉臭くないこと。まずい饂飩の特徴は粉臭い点だ。 何玉食べても粉臭くない饂飩は尊敬に値する。
◎その次はヌメリだな。コシだけあってヌメリの無い饂飩というのがある。饂飩が角張って、なんだか材木噛んでる様なところがある。歯茎から血だして饂飩に食いつくなんてサマにならんぢゃないか!
一口食べて、“お、お前は一体何者なのだ?”と思わず叫んで、大勢の客を振り向かせるだけのヌメリがなくてはいかん!
◎乾燥してないこと。ヌメリと共通する点があるが、饂飩の筋同士がくっついて、別れを惜しんでいる様な風情の奴はダメ!! 饂飩一筋、男だい!!って威張ってる様な奴が良い。一本だけでもスルリと箸に引き上げられる潔さと自立心が必要条件だ。
太平洋路線のフライトに出てくるソバがありますね。あれはなんですか?カツラか汚い掻き揚げみたいにカタマリにならないと、ソバ猪口に入ろうとしない、みんなで入れば食われないみたいな、寄りかかり合って、独立心のない奴。ああいうの全くダメ。

以上簡単ですがうまい饂飩の定義としてはまず誰はばかること無いでしょう。

で、最後にどうすれば、うまい饂飩にありつけるか?という点をレポート致します。

前置きばかり長くなり、恐縮ですがどうも簡単なんですね、これが。
饂飩屋を観察することだけです。これから言う条件をどれだけ満たしているか?を観察すればいいんです。
饂飩屋へ入るときはポケットに両手を自然に突っ込んでノレンをくぐりましょう。さも、饂飩を食いに来たと言った顔をして、素早く店の中、サービスの仕方に鋭く視線を配りながら、ポケットを探る様な風情を繰り返します。
これ、饂飩を食わずに店を出るときの為に準備しているわけです。これから述べる条件を素早く見抜いてダメなら、“あれ!金がないや”とか言って店をでるに限ります。
自然なポーズがとれる様になるまで、何度もオウチの鏡の前で練習しましょうね。

饂飩屋へ入ると、饂飩五人衆の動きをチェックするんですね。これで大体、うどん屋の良し悪しが判断できる。

◎まず、客と直接やり取りするお母さん。これお父さんじゃダメ。やっぱお母さんの仕事です。でも、馬鹿母さんじゃダメ!聖徳太子みたいなお母さんが最高。客の注文を聴いて、それを奥に伝えつつ、料金を暗算してお金の受け渡しをする。ザルかカケか、冷たいの暖かいの、玉が幾つか?天ぷらは蛸、アジ、レンコン、ちくわ、コロッケ、オデンは何本か?
それをスーパー・コンピュータ並のレスポンスで答えていく。このお母さんがモジモジしてたり、客が“おばはん、計算まちごとるで。320円とちがうんな?”なんて言ってたらまずダメ店だ。

◎次は、揉み婆。有名料理人の乳揉み事件じゃないが、ゆで上がって来た饂飩を冷水で、そりゃあ、もう必死で揉み婆が二人掛かりで揉むんだね。これに人件費を掛けてない饂飩屋の饂飩はまずいと言うことが良く判った。
饂飩なのか婆の皺なのかわからないくらい、皺の中を饂飩がもぐること、もぐること!!皺がもんでるんだか、饂飩が皺にしがみついてるんだか判らないくらい冷水で締める訳だねぇ。
しかし、揉み婆あが二つのお乳を胸のまえでクロスさせ、首の後ろで結わえて気合いを入れていることに気づく人は少ない。
揉み婆の活躍があるかないか?これが大きな判断の分かれ目です。
最近は揉み婆になる人が少ない程の重労働ですから、相撲取りみたいなおっかさんが揉んでいる店も少なくない。

◎次、カナメの茹師。ま、大体がとっつぁんの仕事だ。茹師の腕で、饂飩の茹で上がり具合が当然変わってくる。茹でながら遠くを眺める様な目をしていたかと思うと振り向きザマ、肩越しに煮えたぎる大鍋に冷水をバサアっと浴びせる。振り向きザマだぞ!しかも遠くを眺める様な、哲学的な横顔を見せていたかと思った刹那ピカリと水が走るのだ。
まるで、柴田レンザブロウ、眠狂四郎の円月殺法の様な早業が虚無的に繰り出される。思わず“どよー”と見る者から嘆声があがる。

◎四人衆目は、九の一だ。なるべく若くて可愛い程、伊賀、甲賀の手練れも欺かれるというものよ。“ふふふ・・・・甲賀忍法・・・しのび化粧・・”等とは言わないが黙ってお盆の上にお母さんから伝わって来る風の中から、次の客はザルなのか、カケなのか、冷やし大玉なのかを聞き取って饂飩の鉢や薬味、タレなど用意するのだ。
客はもう、はやく、はやく!!はやく来てくれ!と焦っていて、唾を呑み込むのにゴックン、ゴックン喉仏が上がったり下がったりしてる訳だから、食欲をそそるような手つきで捌かなければならないのだ。お盆は汚れてちゃいけないし、ソバ猪口にタレが掛かっていて、客の手を汚すようでは落第だ。まかり間違っても、鼻クソなんかほじりながら作業しようものなら、上忍から“飛びクナイ”か“カブト割り”が飛んで、次の刹那、朱に染まってのけぞることになる。

◎最後の五人衆目がこれまた大切だ。食べ終わったドンブリや、天ぷら、オデン皿を洗う役目だ。駄目な饂飩屋の典型はドンブリを汚い洗い水の中へ放り込んで、水の中をくぐらせるだけの店。見てるだけで今食べた饂飩を吐き出したくなる。
ドンブリに口紅なんかついてたら、もう二度と行かない。
流石という店は、自動皿洗い機を使っているところが多いが、水でなく熱湯を掛けて洗っているところは少ない。
これは全国あらゆる飲食店の食器洗いの現場を見てご覧なさい。
良い店は必ず、食器洗いが完璧だ。熱湯で洗った食器を真っ白な木綿のフキンでキュッキュッと拭き上げる。これには力もいるし、熱いときはたまらん作業だ。でも、これで客は納得するわけよ。

お母さん、揉み婆あ、茹師、九の一、洗い師で5つの役割をキチンと分担してない店なら直ちに飛び出るべしだ。

饂飩は心です。本当に心の通った店というのはオーダー・テイキングから、情報の伝達、製品製造のプロセス、デリバリーまで、いわゆるサプライチェーンが見事にクローズしているんです。よろしいですね?

饂飩屋へ入ったらオヤジが一人で汚い椅子に腰掛けて新聞かなんか、しかも競馬、ボート、競輪の記事なんか読んでいる。ブッチョウズラこいて、客の顔も見ずに面倒くさそうに冷蔵庫のビニール袋から茹でてある饂飩を引っ張り出して、生ぬるい湯に通して、ハイヨー!なんて言ったら、テーブルを蹴倒して、“おめえはそれでも饂飩屋か!”って怒鳴って
10円玉一つ投げつけてやりましょう。ったく!!
ま、そういう饂飩屋へは入らないことです。

饂飩は讃岐の芸術です。それは饂飩を作る工程だけではなくて、如何にお客様を大切にするかという商人の心の芸術です。しかも、毎日の仕事に油断のない目配りをし、気配り、手配りよろしく精進する。
本当にうまい饂飩屋というものは、芸術であることが理解出来ている店だということだと思います。

これは、饂飩に限りません。どんな職業でも、本質は同じだと思います。儲けが大きいか小さいかと言うことは全く関係ありません。いやしくも芸術性を伴う職業にはそういった真摯さが絶対に欠かせないものだと思います。ごまかしのない作り手の透徹した職業倫理です。

讃岐へいらっしゃったら、間違いない饂飩屋選びをして、まごうかたなき名店で、うまい饂飩を召し上がって下さることを心よりお願い致します。妙な店へ入られて“讃岐饂飩はまずかった”という感想を抱かれて大都会、中都会、小都会、田舎町、僻地、南極へ帰られたらタマランと私は思う次第で、かくも下らぬ解説を試みた次第です。

ご精読誠に有り難うございました。
皆様方の忌憚のないご意見をお待ち申し上げております。

 



香川県界隈でうまいなぁ!と思った饂飩屋とそうでない饂飩屋一覧

以下に挙げる饂飩屋は、私が独断と偏見に満ちた舌で判断したものですので、他の方のご意見とは幾分異なる可能性があることをお許し下さい。

大前提-1-饂飩は冷たいもので判断しました。暖かい饂飩については対象としません。
大前提-2-饂飩の食べ方を限定しました。

饂飩の食べ方には、次の2つがあります。即ち、
         @ 饂飩はある程度の量を口に入れてから、それを噛むことで小さくして味わう。
         A 饂飩は容器に入っているものを飲み下し、胃袋の中へ一気に流し込むことで
           楽しむ。つまり、噛まずに呑む。
饂飩の旨さを論ずるにあたり、この二つの食べ方の違いは非常に大きく、@では、饂飩のコシ、硬さが評価の上で大いに影響を持つが、Aでは、喉越しの良さ、滑らかさが主要なファクターとなるのである。
今回の判断の大前提は香川県以外の方々の多くが愛する@の食べ方によるものとしています。香川県人の多くはAを前提として、評価していると思われます。


  
饂飩屋評価一覧 
1
おか泉 

0877-49-4422 綾歌郡宇多津町八番町丁129-10

坂出から丸亀へ抜ける丸亀街道沿い。AM11:00から。月曜定休だが振り替え休日などの場合は異なるので電話確認のこと。 ここの饂飩を食べるとよそへ行きたくなくなるくらいうまいが、なにせ混むので午前11時には店に入るつもりで出かけるべし。ぶっ掛け饂飩、生醤油など絶品。天ぷら饂飩などは時間が掛かる。一点!主人が店の外で並んでいる客にまで、メニューを押し付けて早く注文を取ろうとする態度は、興ざめだ。改めて貰いたいが、早くオーダーを取って客を待たせないと言う点では評価すべきなのだろうか?複雑な気持ちだ。 

2
上原屋本店 

087-863-6779 高松市栗林町 1-16-6

藤塚から塩江街道と分岐する西側の道沿い。トイバナ内科の裏側。AM9:00〜PM5:00 日曜定休 昼は行列が出来る。店内の動線が極めて悪い。要改善。 

五平

087-885-6860 高松市岡本町 1978-1   

国道32号線を高松市内から南下して、道路右側。 AM10:00〜PM4:00 木曜定休 五平餅もあるぞ。近頃セルフ化したが味は変わらない。

4
山田屋

087-845-6522 木田郡牟礼町牟礼3186  

国道11号を徳島方面へ屋島過ぎてから左へ分かれる道へ入り、暫く行って左折。八栗道を上がっていく。 AM10:00〜PM8:00 年中無休源氏正宗とかいう造り酒屋を改造したものか。風情アリ。饂飩の量は極めて多いので、大などを頼むとそれなりの覚悟が必要。 

がもう

0877-48-0409 坂出市加茂町 420-3 JR加茂川駅近く。国道11号線、五色台老健病院ちかくの田んぼの中。  

雀と一緒に饂飩を食べる風情あり。

山越 

羽床 冷たい饂飩はぬめりがなくて硬い。暖かくするとそれなり旨い。休日など凄まじい行列で、それを写真に撮るのなら面白いが、好き物でなければ行くほどのことはない。  

 
×  竹清

高松市 大したことはない。天ぷらが旨いという人もいるが饂飩屋だ!テンプラ自慢は他所でやってくれ! 

× 

やまうち

琴平を迂回して猪鼻峠へ向かう32号線から左へ入りJRの線路を越えた小山の中。うんと田舎臭いところにある。まずい!と言って良いだろう。しかし、こんな饂飩屋へ遠方から観光客を呼び込むなんてホント酷いと思う。<恐るべき讃岐饂飩>の罪だ!! 

× 

谷川米穀店

坂出市より438号線を南下。ヴィレッジ美合を過ぎて、右手から土器川の支流が流れ込む橋のたもと。 ヒドイ!!の一言

<恐るべきさぬき饂飩>という本には上に記した、やまうち、谷川米穀店などが出てくるが、腹が立つほどまずい。 ●谷川は元々米屋だったらしいが、土器川沿いにある汚い店へ入ると、傾きかけたテーブルの上に薄汚れたビンに酢が入ったものが置いてある。ばあさんに聞くと、饂飩に汚いビンから酢をかけてそれに醤油を掛けて食べてくれという。
とても、とても食欲の沸くようなビンぢゃない。生ぬるい饂飩に酢を掛けて食べたいとは断じて思わなかった。酢ではなくて、スダチを用意してもらいたいし、饂飩はもっと冷たくあって欲しいし、コシがシッカリ立っていて、しかもヌメリのあるものでないと、四国へ饂飩を食べにこられた遠来の客をもてなすには、まったく不足である。
● やまうちも田んぼというか小山の影に隠れたようなところにあって奇をてらっておるが、味たるや、お粗末の一語に尽きる。
● 金毘羅参りで昔から有名な琴平の参宮道の上の方に、虎屋という饂飩屋なのか蕎麦屋なのかわからん店がある。店の構えは立派で、こりゃ何百年も続いているんだろな?と思うくらいだから、初めて四国へ来たかたがたを騙すのは簡単だ。
私は入ったことが無いが、ここで饂飩を食べた人が皆口を揃えて言うことには、「生まれて初めてあんなにマズイ饂飩があることを知りました」そうだ。
まさに、恐るべき讃岐饂飩のマイナス横綱級であるらしい。

こうした、名前だけ有名な饂飩屋は、他の饂飩屋の研究など怠っている模様で、これでええんぢゃ!という天動説的なツッパリだけで店を出していて、実に問題なのである。
こうしたヘッポコ饂飩を食べて、讃岐饂飩は不味い!なんて言われた日には、真面目な饂飩屋が大変迷惑する。

それでは、香川県へおいでの節は、うまい饂飩を腹いっぱい堪能してくださるよう、お願い申し上げます。
                     



   
 

Tidbitトップへ

  HOME   NEXT
   
inserted by FC2 system