川を巡って思うこと


川はその地域の大いなる財産だなぁとつくづく、しみじみ思う。

川は山に降った雨を集めて海に注ぐ通り道。

国土にとっては水の通る血管のような存在。

ご承知のとおり、海の水は蒸発して再び雨となって、国土に降り注ぐ。

雨は山の木々を育て、動物や人間などが生きていくための水を与えてくれている。

綺麗な川の水は、海を浄化して、海の魚たちを豊かに育む。

豊かな海で育った魚は我々の食卓を豊かにしてくれる。

「藻の香りのする鯛でないと食べたくない」と祖父が語ったという。

今、瀬戸の鯛に藻の香りがするだろうか?

答えは否である。

海は砂利の浚渫で痛めつけられているが、凪いだ海面を見ても判らない。

川へ行ってごらんなさい。

かつての清流も渇水期には、腐ってしまっている。

国土の血管が汚染されているから、当然海も汚れていく。

どこの川もダムや堰堤だらけ・・・これらが血栓となって国土を痛めつけている。

河川を源流域、上流域、中流域、下流域と分けても、所詮、1本の川である。

川を単位とした行政区分を作れば、血の通った政が出来るのではないか?とふと思う。

川を中心として都市部、山間部含めて一つの行政区分にする。

もっと自然が維持されやすいのではないだろうか。

山間部は渓流が流れている。

この川を守り、渓魚を守り、川からの恩恵を真剣に考えれば・・・

無用な堰堤やダムを作ることが、如何に邪悪なものであるか良く判るはずだ。

川に住む人々が、自分達の川を誇りに思い、国を大切に思う日本でありたいと強く願う。

「美しい日本」ってのは、そういう心を抱いた国民が住む国ではないか?

さすれば、それを実現することがいかに困難であることか・・・

政治家の知見の無さと馬鹿さ加減が良く判るテーマだ。


都市に住む人間は、川へ来ても堰堤などと言う邪悪なものを全く見ていない。

やれ自然が美しいだの、ヤマメの塩焼きが旨いだのと言う。

自分達の生活とは切り離されたものとして田舎の風景をもてはやす。

山から海までは繋がっている。

上流が汚れれば下流も汚される。

本当は切り離されてなんかいない。

テレビカメラや都会人たる番組制作者が金と引き換えに自然を切り取って見せる。

彼等と同じ種族の「大都会日本人」の受けを狙った番組を作ったつもりでも、刹那的なものに過ぎない。

そういう報道は、長い目で見れば祖先を踏みにじった行為だということなど、微塵も感じていない。

その鈍感さは、まさに大都会生活者に真実を語らないという意味でテレビネタになる恥ずべきものである。


渓に作られるダムや堰堤の多くは、都会のゼネコンが請負う。

設計から施工まで自分達の息の掛かった業者で行う。

そして、山間部の労働者達を雀の涙ほどの賃金で雇って下働きをさせて工事をする。

 

ゼネコンの人たち・・・・

自然を大切にする気持ちをかなぐり捨てている。

自分達の所属する組織の金銭的欲望を満たすための「仕事」と銘打った自然破壊と搾取の連鎖。

それを繰り返しているだけに過ぎないのではないか?

そうでなくて、なんであれほど川が痛めつけられていくのか?

 

雀の涙の賃金を貰って土木工事をしている人たち・・・・

いわゆる「文化的」と称する生活のために先祖から引き継ぐはずの美しい河川を汚していく。

忸怩たる思いがあるに違いない。

「昔はこのあたりにも、尺を越えるアマゴやイワナが沢山いたんだ」ということを良く聞く。

それは先祖代々からの遺産を食い潰してしまったと言っているに等しいではないか?

何もせずに魚釣りだけして、こういうツレナイ言葉を簡単に吐き捨てる自分・・・

実は畢竟(ひっきょう)文化という浅薄な掃き溜めに落ち込んだバカモノだ。

世のためには早くこの世から姿を消すべき存在なのかもしれない。

 (Apr.25/2006)

 

 

こんなものが何故必要不可欠なものとして税金で作られるのか?

この山の、この場所に、こんなものを作って、自然を制御できると誰が納得するんですか?

ヒドイ犯罪ぢゃないのかなぁ〜

徳島県穴吹川の最上流部です。

Rewrite 2009年07月25日


   
 

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