-地方都市の悲哀-


日本の地方都市がすべて高松市のようだとは考えたくない。しかし、なにがしかは共通しているところがあるのではないか?と思い、この町、高松における最近の建物の事情をレポートしてみる。

高松という町は人口がおよそ40万人と言われているが、高松の旧市内に住む人口は非常に少なくて、おそらく10万人程度ではないだろうか?町村合併などで、多くの人々は高松駅から数キロから10キロ以上離れた町に住んでいるのだと思う。

翻って、東京という異常な都市は、それだけで1200万人以上の人口があり、川向こうの神奈川県、千葉県、埼玉県から通勤している人口を考えると、それぞれ300万人とみても、2000万人を超える人々が朝から夜遅くまで、東京と言われる狭いところで働いたり、仕事の疲れを癒したりしているのが実態だ。

つまり、高松と東京ではいろいろなことを考えるベースとなる人口比が200倍も違うのだと指摘しておきたい。これを無視して、東京と同じもの、同じサービスを展開してもうまくいくわけがないのだ。 

高松の町を夕方から夜に掛けて歩かれたらすぐお分かりと思うが、兎に角、夜の仕舞いが早いのだ。8時も過ぎたら、閑古鳥が鳴くと言うか、まるでゴーストタウンのような有様だ。夜の帝王たちが遊ぶ場所とて、限られた狭い地帯に集中していて、そこいらだけがバタバタしているに過ぎない。

ところが、お役所やら一部の舞い上がった民間業者は、高松駅周辺の再開発と称して建物を計画するときに、どうも東京やら大阪やらの建物を慌てて見物に出掛けて、ホレ、トウキョウはこんなやった。大阪の何たらホテルはこうだった!とえらく規模の違う都会における建築計画、道路整備計画などを引っ張り出してきて、それをあたかも自分たちの頭で考えたかのごとく、実施計画に展開しているのではないかと思われる。

要するに、町としての需要を全く無視しているとしか、考えられないようなことを平然とやっている。

こういう名前の8階建てのビルがある。全体のビルの概観は下の写真のようだ。四国電力やら、港湾何たらいう役所が入っているが、1階〜3階は次のようだ。

このビルの中に入って見た。まず、1Fだが、次の写真のようで、椅子に座って弁当を食べてる若者が一人・・・左の窓口は何をするのか知らないが、閉鎖されていた。

2階へ上がってみると、言い訳みたいな喫茶コーナーと、なぜだかわからないが床屋がある。

年寄りが勝手に食べ物を持ち込んで食べていると言った感じで、喫茶コーナーとして、利益を上げている風情ではない。

もう一階上へ上がってみよう!

ここでも、お年寄りが寒さを逃れて、ウツラ、ウツラしていて、結構なことである。この反対側のフロアでも、結構広いところにお年寄りがボンヤリされていた。

このビルは前に見える港から出航するフェリーの乗客待ち合い場所という触れ込みで作られたようだ。つまり、次の写真にみるフェリーである。

見るうちにこのフェリーの出航と相成った。

ん?!人影なんて丸で見えないではないか?この寒空にデッキでビール飲んでるとも思えん。 要するにフェリーの乗客なんて、ほんと知れているのだ。フェリー乗り場の方にも乗客が待てる場所はある。なんで、遠く離れた場所に別に待合場所が必要なんだろう?

ゼーキンの無駄使いではないのだろうか・・・

高松は昔から支店経済で支えられていると言われていた。つまり、宇高連絡線が四国への唯一のアクセスだった時代は、なるほど、こうもり島へ行くには、まあ、この連絡船に頼っていたわけだ。従って、殆どの有力企業は四国の玄関口としての高松の価値を認めて、支店を設置していた。 瀬戸大橋という稀代の大架橋が出来上がって10年を越えた。この間に支店設置事情はガラリと変わったし、そうなることは誰にも予測できたはずだ。車で四国へ乗り込めるとなれば、何も高松に支店なんか置かなくても、岡山なり広島へ支店機能を統括するのは当たり前だし、鳴門淡路架橋が出来上がれば、それさえ、大阪から統括することが自然の理となる。 為政者であれば、その程度の見通しがなくてはならんし、橋が出来てからの変化を見れば、かつての高松に期待された機能が不要になったことなどすぐわかる。それにも関わらず、10年以上前の需要を見込んで、オーバーキャパシティなハコばかり作っているのが、ここ、高松の悲しいところだ。

このホテルも、何を考えたのかわからんホテルの一つではないでしょうか?あまり流行っているとは思えない。まだ出来たばかりと言って良いが、売り上げが素晴らしく伸びているようには見受けられない。

昔はここにJRの高松駅があったのである。場所としては一等地なのだが、経営は苦しいのではないかと思う。 どうも、計画する側は需要(来客数や彼らが落としてくれるお金)を過剰にコキ出して、立派な設備を作りすぎるのではないだろうか?もし、そうならば当然、経営は苦しくなること請け合いだ。

フェリー乗り場の近くから、赤灯台と呼ばれている堤防の先っぽまで、木製の立派な歩道が敷設されている。これって、新宿駅南口から高島屋の西側に敷いてあるのと、殆ど同じものだと思うが、なぜ、こんなに金のかかる歩道を敷設するのか?さっぱり、その意味がわからない。新宿の歩道もやりすぎだと思う。だってあれだけの人が歩き回れば、その傷みも激しく、メンテナンスに掛かるコストは馬鹿にならないからだ。まして、強風が吹けば塩水だって掛かる場所にそういうものを粋がって敷くのは、ハッキリ言って馬鹿だ。

このように人っ子一人居ない場所(たまたまウィークデイの夕方ではありますが)にねぇ。

ところが、驚く勿れ、またぞろ、新たな建物を作ろうとしているんですよ。

 

こんな建物を建てて、一体誰がここで仕事をするのか?それもいくら毎月払ってですよっ!これって、ゼーキンで払ってメンテもゼーキンなんていうと怒るよ!!でも民需ベースではとても採算取れないのではないだろうか? 200倍の格差があることを無視し、東京的なるもの(東京人にとってはニューヨークやパリ的なるもの)が優れていると妄信するプランナーとは、結局は犯罪者とさえ言われても仕方ないのではないだろうか?

どうして、1/200の規模で、この町にフィットした文化的施設やサービスを考えられないのか・・・企画・設計的頭脳の硬直化によってこんなものができてしまう。また訳のわからん、東京的レストランなどが誘致されるのだろうが、それとて2年とは持たないだろう。 何故なら、1/200の論理を忘れているからだ。 

夕日を浴びながら、工事場を駆け抜けるトラックがひどくむなしく思えたなぁ。こんなことしてて、良いのだろうか? 高松って悲しい町だな・・・と思うのは俺だけではないはずだが・・・

時代が変われば俊敏に計画を見直して、大切な資金を有効に活用するなんて子供でもわかる論理なのに、それが出来ない大人の政治とは、まさに政治レベルは子供以下ということに他ならない。こんなことするくらいなら、それこそカンボジアへの難民資金援助ナンバーワンの県であるほうが、県民としてどれほど誇らしいであろうか? こういうことをしているうちは、高松は本当に田舎だと言われても反論できない。


 

 

   
 

Tidbitトップ

  HOME   NEXT
   
inserted by FC2 system