吉祥寺今昔


吉祥寺って町は、武蔵野の入り口にある。

新宿からJR中央線で20分足らず。渋谷から井の頭線の急行で20分ちょっとかな?

子供の頃、井の頭線の浜田山と言うところに住んでいて、

日曜日には10円玉を握り締めて友達と電車に飛び乗った。片道子供5円だった。

行く先は、吉祥寺の模型屋さん。

昭和30年代の初めの頃、この町には3軒の模型屋があったのだ。

歌川模型、中央模型、それになんとか模型の3つ。

朝から夕方まで、昼飯も食べずに3軒の模型屋を何度も、何度も見て回るんだ。

主に興味があったのが鉄道模型で、電車や機関車を食い入るようにして見続ける。

それこそタテからヨコからナナメから。子供の小遣いではとても手に負えない代物だった。

しょうがないから、モーターと台車だけ買ってきて、線路の上で走らせては皆喜んでいた。

普段は見るだけ。でも充実した時代だったなぁ〜。

模型屋のオヤジはぶっきらぼうで、お金の無い子供たちが店に入ってきて、

大人の客の邪魔になるといって、追い払う。

でも、そんなことで引き下がるガキ等ではなく、小一時間もすれば、またぞろやってきて、

ああだこうだと眺め始める。

歌川模型のオヤジはことさら、ガキを追い払うのがキツかったように思う。

子供だって10年もすりゃ上客に育つのがワカラねぇのか、近視的な男だったよな。

今になると白黒写真のような思い出だ。


 

ガキ等が降り立つ駅は木造だった。

 

こんな建物は何も無かった。

 

仲見世の右側は、万年筆屋だった。

高校生になって2,000円也のパイロットの万年筆を買った。よく書ける優れものだった。

 

仲見世に入ると昭和30年だ。

 

この右側あたりが模型屋だった。

 

ここは元魚屋。商売替えだ。

 

昔、「峠」って飲み屋で岩魚の卵があったところ。今ぢゃなんだか訳のわからんことになった。

 このあたりに良い靴屋があった。

 

以前は近鉄デパートだったのに・・・

 

須田味噌店。ここは今でも営業しているようだ。

暮れになると、お袋に言われて、正月に使う味噌を買いに行かされたものだが、

タダで模型屋を覗けるので嬉しかった。

 

東急デパートへ抜ける途中にある陶器屋さん。

結婚間もないころ、ここでコーヒーカップなどを買い、

好きでもないコーヒーを淹れて新婚気分を楽しんだ。

今では渋茶しか、飲まん!!

でも、店は健康に暮らしているではないか?

この奥にあった富士屋っていう時計屋さんは廃業していた。

中学生になって初めて時計を買った店だった。

FUNKYというJazz喫茶があったのを知る人も少なくなっただろう。

マッキントッシュの球アンプでシステムを取り揃え、JBLスピーカーだったと思うが、

マッキン・ルームという部屋を作って、値段も高かった。

1階というか、半地下のJazz喫茶は、アルテックA7を配して良い雰囲気だった。

コルトレーンやエリック・ドルフィーが良く鳴っていたっけ。

そのFunkyも今は無く、名前だけ同じ料理屋になっていた。

このあたりはPARCOってビルで整理統合されてしまった地域だ。

映画館もあったのだが、壊された。大学時代の思い出のコーナーだ。

Jazzクラブ?Some Time・・・

FunkyなどのJazz喫茶にとって代わったのが、この店のようなライブハウスだ。

内部は古いシカゴの町にあるような雰囲気にして、ライブをやっている。

割と良いと思う。昼間はレコードかCDの演奏だ。

 

妙に立派になったと思うのが禅寺だ。

実は吉祥寺と言うお寺は無いそうだが、結構沢山のお寺がある。


吉祥寺文化は、先に書いたFunkyのオーナーだった某氏によって形成されたと言っても過言ではない。

春木屋という紳士服屋があって、トラッドな若者用の背広をオーダーメードしていた。

ネクタイコンクールなどやって、一番好きなネクタイに投票すると、

1位には昭和40年代初めで30、000円相当の商品券が景品だった。

サラリーマンの月給相当だ。

Old&Newってバーは町の通りをバーとしてうまく使った店だった。渋谷にもあった。

金の猿っていう日本料理をアレンジした店もあった。今はあるのかどうか知らない。

Jazzクラブ:Some Time !!

これら、すべての店は某氏が経営していたものだ。共通した時代感覚を抉り出したような店だ。

昭和30年代から隔絶した、40年代〜50年代の香りを町に残した文化遺産といえるのではないか?

しかし、某氏亡き後、平成の文化的香りがいまだに形成されていないように思えた。

というか、今の日本が自信を持って進む道を見出しえていないのを反映しているのかも知れない。

雑多ではあったが、国民がやみくもに働いて活力に満ちていた昭和30年代。

そこで生み出された裕福の使い道をキッパリと提示して見せた

某氏の消費文化が花開いた昭和50年代。

再び、衰弱を見せ始めた日本の実態を反映している平成の20年間。

これらを鮮やかに表現している町が吉祥寺なのかも・・・・


 次は東京の真ん中に目を転じてみようか。興味のある方はど〜ぞ。

 

 

 

   
 

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