熊の棲家


渓流釣に行って、初めて熊を見かけた。 といっても、9月の上旬。場所は四国のど真ん中。
車で行ける限り林道を詰めて、そこから釣り場を目指して歩いていた。渓流には取水堰というものがある。電力会社が沢の水を集めて小規模ながら水力発電を行うために設置したものだ。一つの水系には数箇所取水堰があり、それらを相互に結ぶパイプが山中にめぐらされている。これは国土地理院の1/25000地図でも確認される。 普通、堰の下流は水が枯れているが、上流は水量豊かな渓でそこが目的であることが多い。

取水のための堰があるということは、その管理も含めて山道が整備されていることを意味している。かつては農林省が林業育成のために整備していた林道に満たない山道は、今ではわが国の林業が衰退するに伴い、放置されて荒れ放題の惨状を呈している。
渓流釣をする者、特に私のようなロートルで、足に自信の無い者にとって、細い山道が整備されているのは、大げさに言えば地獄に仏的に有難いことである。そんな渓沿いの道を息を切らせながら登っていたときだった。突然、バキバキバキッという大きな音がして、足下の崖のえぐれたところから大型の獣が飛び出して、渓に向かって飛び込んでいった。崖のえぐれから水面までは、10m以上もあるはずだが、その急斜面を谷に向かって飛び出していったのだ。その獣は谷を飛び越えて、向こう側の森にあっという間に姿を消したが、瞬時まぶたに焼きついた獣は黒とこげ茶色の混じった剛毛に覆われた大きな体をもち、上の方に丸い耳が両側に張り出していたのだった。さぞ痛かったに違いないと思える跳躍だった。写真の場所から数分後だった。右下が渓である。

(断っておきますが写っているのは熊ではありませんが、熊のような人です)
そのときは、可愛いな!といった感想だったが今思えば道に向かって飛び上がって来られたらこっちの命はおそらく無かっただろう。
熊は犬と同じくすばらしい嗅覚を持っているといわれ、人間の一万倍以上も優れていると聞いた。
自分たちが熊を認める前に、彼は人間を確認していたと思われる。子連れの熊は子供を守るために危険を冒してでも戦うが、そうでないときは本来とても臆病で、闘争的でない生き物であるに違いない。
あんなに痛い目に会いながら、人間から遠ざかろうとした熊に敬意の念を抱くのだ。まことに申し訳ないことをした気持ちである。

一昨年から昨年にかけて、日本の熊が5,000頭も捕獲殺戮されたと報じられた。もしそうなら。それは本当に正しいことなのだろうかと思う。日本の熊は全国で10,000頭しかいないといわれているのに。
捕らえられた熊の一部は、山に帰されたというが、どうやって帰したか?なんと軽トラックに積み込んで、林道の外れまで車で行ってそこで放り出したというのが実態のようだった。つまり、熊の棲家の横には林道がついている!!熊んちの玄関先には林道がある?!

熊を殺さねばならないケースがどれほどあるのだろうか?山菜取りに出掛けた夫婦者が熊に襲われたというニュースが春先の新聞で報じられることがある。熊にとっては冬眠から覚めて僅かな山菜で空腹を満たすこともあろう。山菜の生える辺りは熊と人間が交差するエリアなのであろうか。そうした時期には、山菜取りなど行わないよう市町村で指導すべきなのではないだろうか?山菜を食べなくても人間は死にはしないが、熊にとっては死活問題だ。林道を作ると1mあたり幾らっていうお金が地方自治体から払われるというような話を聞いたことがある。林業もさっぱりな今の日本で、なんのための林道作りなのだろうか?まさか、我々渓流釣人のために作ってくれているなんて考えられん。
人間と山の獣を遭遇させるような道は作るべきではないだろう。
むしろ、山の獣の習性、生活実態について人間に啓蒙する活動にお金を使い、人間には、立ち入ってはならない時期とか場所を明確に教えることが自然保護の意味からも正しいように思われる。

動物に対して、その程度の優しさを持っていてもバチはあたるまい。野生動物に対して抱く優しさは、実は人間同士がいたわり合う気持ちと、まったく同じなのではないかと思うのである。

   
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