自分を見直す旅
この春以来、行き詰まりを感じていたことは否定できない。
還暦を過ぎ、体力も低下すれば、新しいことへの挑戦意欲も弱まってきた。
はて、俺ってこれからどういう風になっていくのか?登ってきた階段を踊り場で振り返って一休みする時期に入った。
年齢を重ねると、古い友人達ともそれぞれの生き方の結果、価値観も少しづつズレてくる。
昔日のような感動を共有して酒を酌み交わすことも減ってくる。
インターネットによって、純粋に価値を共有する人々と距離・世代を越えた新しいお付き合いが始まる。
遥かに短い時間で人間関係が構築できる点は良きにつけ、悪しきにつけ注目すべきことだと思う。
これまでの人間関係は、全人的な付き合いの中から、互いに生き方や興味の一致点を見つけながら構築していた。
一方、サイバー空間での人間関係の構築は、時間的な推移と蓄積を経ずして、興味が交錯するところから始まる。
非常にマイナーな興味であっても、それを共有する人たちはいきなり、深い共感をもって接することができる。
輪切りにされた自分と輪切りにされた他人とが、模様が酷似しているゆえに、一気に深い共感に浸れるのだ。
しかし、その人が全人的にどういう方なのか?年代は?という点については極めて判りづらいものがある。
実存的精神がぶつかり合うお付き合い、まるで少年時代の友達同士のようなお付き合いが始まるのであるが、新しい友人の現在の精神が如何なる背景を持って生まれてきたか?
それを確認するためには、どうしてもお会いしてお話をしてみたいという欲求が高じて来るのだ。
お会いして初めて話する友人が、何故自分と興味を共有することになったのかを知りたい。
逆に、人様から見た自分とはどのように見えるのか?
それを知ることこそ客観的な自分を知りうる唯一の手段ではないかと思うのである。
新しい友と現実的な出会いをすることは、まさに自分を見直すことになる、そんな思いを抱いた旅であった。
和歌山県に入ると紀ノ川(吉野川)を越える。
昔は鮎が沢山取れた川だったと聞いた。
国道24号線を東へ。
橋本という大きな(?)町を通過する。
もうしばらく行くと、初めてお会いするつり姫の御殿があるそうだ。
なんだかドキドキするなぁ・・・
つり姫御殿から、奈良県東吉野郡天川村に入る。
途中、吊橋のある川までご案内頂いた。
流石は音に聞こえた釣師だけあって、川歩きの速さには舌を巻くものがある。
目の美しい女性だったが、ご本人のプライバシーを考慮して、サングラスだ。
気さくで飾り気のない、しかし釣りに関しては冷徹な視線を持つ一級の釣師と拝見しました。
共通の師匠の釣り姿。
厳しさひとしおのご指導を受けた。
釣りは横着はダメ!支度をしているときはボンヤリしてちゃダメ!川虫はチャッチャと取れなくちゃダメ!
様々な釣りをご教授頂いた。
ありがたいことである。
本では理解できないことをいっぱい教わった。
教育とは「教え育てる」ものではなく、「教え」・「育つ」ものであると学生のころ、恩師にうかがったことがある。
すなわち、「教える側」と「育つ側」の双方のコラボレーションが欠かせないという意味である。
そう心得て、教える側も育つ側も切磋琢磨したいものである。
師匠から見ると、銀次郎は横着者であり、かつ軟弱者である。
自分が見えた!!
一人で朝から川歩きしながら初めて釣れた美麗アマゴ
頭を低くして釣っていたが、掛かった途端、腰を伸ばしたらギックリ腰になってしまった!
なんと脆弱な体なんだ!!
夜になって、師匠がお灸を据えてくれた。
いろんな意味でのお灸だった。効いたなぁ・・・
師匠が掛けた山上川のつるつる黄色の鮎だ。
メチャクチャ旨いのを師匠が行き着けの料理屋で背越しにしてくれて、頂いた。
もちろんビール付きだ。
この師匠は言動に問題ありと自他共に認めるところであるが、優しさを器用に表すことが出来ないだけなのだ。
村を愛し、川を愛し、山を愛し、そして人を愛している。
銀次郎もまだ可愛いところがあると見えて、大変可愛がって頂きました。
これから長野県へ回ると言うと、「挨拶代わりに持って行け!」
と自ら釣られたつるつる鮎を20尾以上も持たせてくれました。
大手を振って信州へ入ることが出来ました。
師匠、ありがとうございました。
ギックリ腰をした後は釣りもままならぬ。
入渓点の近くにお宮さんがあって、その鳥居(左の赤いもの)に、なんと、真昼間からカブトムシがしがみついていた。
子供がおじちゃん!あれ取って!と言うので、お宮さんに一礼して、カブトムシを頂いた。
誰にもこんな年の頃があったんだなぁ・・・
足元を見ると、「てんかわ」のロゴ入りマンホール蓋があった。これは写しておかねばな!
自分の足まで入っちゃった。
この時期、ここは遊びの川だ。
あまごも居るが冷たい水は子供達にとって最高の憩いの場。
川は皆の物。
釣師のものだけではない。
銀次郎ももっと広い心で川と接するようにならないといけないと大いに反省しました。
子供だけぢゃない。恋人達の川でもあった。
何話してるのかなぁ・・・・
さあ、さあ、奈良から飯山を目指してひた走ると・・・・そこには昔懐かしい北信濃の山と田があった。
豊かな田園地帯にみえるが、冬は4mを越える豪雪地域。なるほど、家の屋根には相当な工夫がしてあった。
昔変わらぬ小高い山と麓の家々である。
ここが「かおるさん」の城である。
きいちごの実。黒くなったら果実酒の元になる。これが旨いんだなぁ〜。
でも、飲みすぎると乱れるもとになる怖い酒。
なんて言ったっけ?
これを実に巧みに料理に活かしてあった。
よく見るとかおるさんって良い男だなぁ。
優しくて厳しくて・・・釣り名人で。
この方の謙虚さには恐れ入ります。
なんでも出来る人なくせに、何も出来ないようなことを平然と言う。
こういう人は本当に恐ろしい!!オイラなんか傲慢この上ないと思った。
また銀次郎の正体がわかってしまった。
かおるさんちの魚銀行!いろんなのを貯めてある。
尺岩魚と普通の岩魚、ヤマメを預金から下ろす。
尺岩魚はおいしい刺身となって食卓をにぎわした。
何を見つめるあきらさん?
この方は、渓流釣りは10年ぶりだと言いながら、UB川では1投で25cmオーバーの美麗山女魚をし止めた。
余裕の釣りを見せてくれました。
銀次郎なんざ、メシ喰う暇も無く、5時過ぎてからオニギリを泣きべそかきながら食べました。
彰さんは堰堤のガードレールに足掛けながらメシは食うわ、煙草は吸うわで格の違いを見せ付けてくれましたね。
ね?あきらさん?
大姉御登場サングラス!銀次郎、飯山へ行くというので特別に群馬から参加願いました。
昔の友人?です。
奥に立ち並んでいるのが、かおるさん特製の果実酒たち。
これが効くのよねぇ。
あきらさんが釣った鮭児!塩焼きだ。
果実酒が効いてきたゾ〜。
愛の賛歌を歌いながらのダンス!ダンス!ダンス!いやぁ、だいぶ効いてきたなぁ・・・
懐かしい飯山で、昔からの友達、お初にお目にかかる方々。
旧友のごとく振る舞い、酒を飲んだ一晩でした。
人間、胸襟を開いて語り合うということは大事です。
素直に!素直に!銀次郎にはなかなか出来ないことなんです。
はて、さてこうして楽しい飯山での巡りあいが終わり、次は木曽川での釣行の予定だったのですが、兎に角凄い雨。
急遽、予定を変更して、かの有名なアマゴンスキー木村さんのところへ直行することにしました。
高速道路は豊田飯山ICから入り、中央道小牧東インター出口で7時の待ち合わせ。
大雨の中4時間半ほどのドライブとなりました。
アマゴンスキーさんは、当初なんだか怖い方のような気がして、お話しにくい感じに受け取っていたんです。
、どうして、どうして。小牧東IC出口でお会いした瞬間、思わず握手してしまいましたよ。
可愛らしい奥様とのご新居へ厚かましくも押しかけて一泊の宿をお借りしました。
バックに写っているのはテンカラ実釣ビデオでこれがまた、楽しいんです。
ご馳走の乗っているテーブルはコレクション・テーブルでガラス越しに下のコレクションが見えるようになっている。
なんと、そこにはテンカラ毛鉤を巻くマテリアルと道具類が詰まっていて・・・・
お酒を頂きながら毛鉤まきの実技指導もするという、気の抜けない仕掛けが凝らされている。
まさにテンカラ教の教祖そのものだった!
おうちの玄関には白黒の変形サイズで渓流釣りの模様を写した立派な写真。
左手には鹿の角に数本の竿が、主の出番遅し!と待ち構えている。
本棚には釣りの本がギッシリ。
釣りに行けない日でも家に居れば釣り場にいるのと同じという環境が出来上がっている。
ああ、次ぎの文句がオイラの心にグサリと来ましたね。
「真剣にやれば智恵が出る、中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり。」
ここのお方たちは真剣にやってる。おいらはいい加減なことばっか。言い訳ばかりしている。また見えた。
ご主人はフリーのカメラマンでありながら、こんな本を書かれていました。
兎に角、半端ぢゃない!こういう方々の前で釣りの話は口幅ったくて出来ませんでした。
奥方様は一級建築士。Ten Colors建築設計事務所の代表です。
奥方もテンカラキチガイであることはモチのロンでゲして会社の名前を見ただけで、只者でないと感じるでしょう。
それにしても、なんて謙虚な方たちなんだぁ〜。勝てん!!
要するに物事を成すには謙虚さが一番大切なのではないか?と思い始めた銀次郎でした。
遂に四国へ戻ってきた。こんな橋を設計できる人ってきっと謙虚なんだぜぇ〜。
四方山話なのか、写真館なのか最近区別がつかなくなっていますが、まぁ混然とさせておくのも面白いでしょ?
色んな人間関係の構築法があるが、物理的な時間と空間ではお付き合い出来る範囲は相当限られてくる。
しかも地方の田舎町にいれば、ましてやである。
ところがインターネットで価値観を共有してからお会いするという手法。
人生の持ち時間をうんと増やしてくれるように思えるのである。
やはり感動を求めて生きている人々と出会い、お互いに成長できること。
これって今の時代にしか出来ないことなんではないだろうか?
ああ、俺も楽しい人生を生きさせて貰ったわい!と思いながら三途の川を渡りたいのである。
「駄文・ヘボ写真にお付き合い頂き、まことにありがとうございました。
私が撮ったばかりにヘボ写真の主人公となってしまった登場人物各位にはお許し願いたいと存じます」
Sunday, 2006-07-23