-タラの芽賛歌-

タラの芽は、誠にはかない。 山にはウコギという植物があるが、棘は少なくしとやかだ。ウコギの親族のタラは、山仕事のニックキ敵と、 山男たちはナタで一刀両断に切り捨ててしまう。
タラの棘は厳しく、山男の柔肌(?)をやすやすと切り裂くからだ。タラの木は切り倒されて捨て去られる。
しかし食い道楽にとって、タラは珍重すべき植物で春にはタラの芽が食いたい!と身を焦がすほどにイラツクのだ。
で、今年もタラの芽を求めて近くの山に入る。世の中は狭いもので、目立つ場所のタラは取り尽くされている。でも、ちょっと入りにくい所や、足場が悪いところではひっそりとタラが成長しているもの。 東京など大都会近辺では見つからないだろうが、奥多摩など山間部へ入れば、難儀せずとも入手可能なのではないだろうか?住んでいるかたのご意見を伺いたい。
私は、前年から目星をつけているので、何処にあるかはちゃあーんと知っているのだ。
そういうところでも、前年よりは確実に誰かの魔手が伸びていて、ほんのわずかな芽でさえ、無惨につみ取られているこ とが多いのは残念だ。タラ道を守ってもらいたいものだ。 タラの芽料理には、湯がいて白味噌で和えるとかもあるようだが、私はやはりてんぷらが一番だと思う。


天ぷらは油温を200度位に温めて、約1分で揚げる。200度の油は衣を箸の先に付けて放り込むと、鍋の表面かすぐ下で シャーンと衣が跳ね上がる。
揚げる時間が長すぎると、タラの葉がカリカリになってジューシーさを失うから要注意だ。
さて、タラの芽が沢山取れたからと言って、タラの芽の天ぷらだけで酒を飲むのは品が無い。タラが取れたら急いで魚屋へ かっとんで、アナゴとか車エビを求める。さらに、レンコンや椎茸でも良い、そういったものと 併せて天ぷらを構成しなければならない。
そう、タラが取れて嬉しくて天ぷらをやった!という風情は決して醸し出してはならないのだ。
たまたま、山へ入ったらタラの芽があったんで余裕で取ってきたから天ぷらをしたんだ!という雰囲気が天ぷら料理全体から醸し 出されていなければならないのだ。
もっと言えば、天ぷらだけではダメなのだ。オコゼとかヒラメの薄づくり、トコブシかアワビの煮付けなどが 皿にならんで、平然とこちらを睨んでいる。
そういう舞台に、ゆっくりと出てくる天ぷら。その一部に自然に立ち上がったタラの芽がひっそりとたたずんでいる・・・
あくまで、料理全体の中に自然にとけ込んでいて、しかも季節感を強烈に主張している。
そういう存在でありたい。

タラの芽を食べる時にもそれなりのエチケットがあるのは無論だ。
上記の如く用意された料理の中から、鋭くタラを見つけたら、
“お、これは天然のタラですな!どこのお山のものでしょうかな。葉の広がり具合からお見受けすると、これはアズミノのものと 推察しますが・・・”などと知見をひけらかす。
“流石、Ginjiro殿、お目が高い!実は長野産のタラが最近は徳島の山中で見受けられるのでござる。これは鳥が運んだものと思 われますな。”
などの本当にマイナーな会話が交わされる。これはお茶会で、釜や茶碗、床の間の掛け軸などを誉め合うの と全く同じというより、眼前にうまそうなタラの芽があるわけだからもっと切迫感があってよい。

本日の主役はタラの芽であって、アナゴだとか、刺身などは脇役なのだから、自分ばかりタラの芽を箸でつつき  回し、追い回してはならない。
一つ、二つ、モッキリとした、タラの芽を食べたら、“誠に結構なタラでございました。私はこれで100年寿命が伸びたような気が 致します”などと言って、他の客がタラを十分食べられる様に配意するというのは勿論だ。
その分、酒はたっぷりと飲んで乱れてしまっても構わない。あたかも、タラのせいで、乱れてしまったという風に振る舞えば良い のである。その辺に寝転がっている猫とキスをしようが、何をしようが構わないのだ。兎に角、今晩はタラが主役なのだから、 タラを取ってきた主人の苦労を大いに称えようではないか?
そうすると調子にのった主人は、ヨオーシ!また来年取ってきて振る舞うぞ!と決心を新たにするものなのである。

いずれにせよ、タラを食べると元気が100倍くらい出る。
しかし、忘れてならないのは、タラの芽とか春の山菜というやつは痛風には極めて悪い効果をもたらすのだ。プリン体がそれこそ 思いっきり含まれている。
タラの芽食べて、ウニ食べて、白子なんか食べて酒を山ほど飲むと間違いなく、尿酸値は急上昇する。アスパラガスなども痛風に は悪い。
逆にタラの効用に糖尿病を直すというものがある。タラの生木をナイフで削って、これを煎じて飲むと糖尿病には非常に良く効く そうだ。

タラが繁殖するには日当たりの良い斜面で、近くに川筋があるところが良い。全国的に桜が散った後すぐが最高  の採取時期。
芽は同じ枝の場所に一春に3回出てくる。2回目までは取っても良いが、3回目に出た芽を取ってしまうと、そこからは2度と生 えてこない。つまり、タラの木としての成長が止まってしまうのである。
だから、タラの芽取りのエチケットとして、必ず、来年も芽が出る可能性を残すようにしなければならない。
また、タラを取るときは必死になっているもので、家に帰って調べてみると、大量に取ってしまっていることが多い。沢山とれたら、 必ず友人にお裾分けをする気持ちが大切だ。
おいしいものは皆で分け合うという文化を築きたいものだ。

さあ、今晩もタラの芽を囲んで幸せな晩餐としようではないか!! (April 12/2004)


   
 

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